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『君の名は。』『ラ・ラ・ランド』大ヒットで浮かび上がる社会の危うさとは?

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アカデミー賞で6部門を受賞した『ラ・ラ・ランド』
日本で大ヒットした『君の名は。』には、思い掛け無いな共通点が。
そこから垣間見えるものは、日米両国の世の中が抱える問題が。

アカデミー賞の授賞式。最後の場面の作品賞の発表で間違えられるという
ハプニングばかりが報道されましたが、『ラ・ラ・ランド』が6部門で
受賞したことに関心を覚えた。
『ラ・ラ・ランド』と日本で大ヒットしたアニメ映画『君の名は』には
2つの共通点があり、日本と米国の両方が同様の課題に直面していることを
示しているような印象がある。

それでは、『ラ・ラ・ランド』と『君の名は。』の共通点とは何だろう。
個人的な印象であり、的外れかもしれないが、まずどちらの映画も
ストーリーより映像の美しさが評価されていること。
『君の名は。』は新海誠監督の世界観や映像の美しさで大ヒットした一方、
アニメ界の大御所は「あれは映画というより100分に渡る壮大な
ミュージック・クリップだ」と評価。
すなわち、十分考えて観るというより、気楽に観て気持ちよく感じるという
ポイントの方が大きかったわけ。

『ラ・ラ・ランド』を観た人々のコメントを聞くと
同様に「映像が美しいかった」というコメントばかりが目立ち、
物語は二の次、というか物語のコメントはほとんどなく、
ともかく映像のことばかり。
『君の名は。』と同じ、気持ちよく観られるのが見分けるポイントだった。
なぜ、日米で似ているようなつくりの映画が大ヒットしたのか。
日米の両方でたくさんの人々がスマホ中毒になっているからではないかと
感じる。
スマホをやり過ぎると、内容を気楽に受け身で流し読みするのが日常的となり
また文章の読み方やコンテンツの鑑賞の方法が気楽で心地よい
浅い読みばかりになってしまう。

ヒトの脳は周囲に適応することを考えると、長時間スマホを使っていたら、
スマホ以外でも同様に内容をみることになり、
そうなると映画についても、オスカー作品賞を受賞した
『ムーンライト』のように、文芸作品に没入して能動的に考える映画よりも、
気楽に観られる『ラ・ラ・ランド』のような映画のほうが、
たくさんの賞を受賞して当然と言える。

反対に『ラ・ラ・ランド』と『君の名は。』のヒットが示しているのは
スマホのやり過ぎの弊害が出始めているということといえるのではないか。
スマホをやり過ぎて、たくさんの人々が知的な面で大変に怠惰に
なってきているのではないか。

続いての共通点は、どちらも往年の名作へのオマージュというポイントが強い。
『君の名は。』には、以前の名作アニメや映画を彷彿させるような場面が
しばしば出てくる。
この点についてアニメ界の関係者は「新海監督はパクリとも言えることを
良くないとは思っていない」と言っている。
正しくは「悪くない」と言っているのではなく、それはアニメファンにとって
ごく当たり前のことと思っているようで、44歳という年令とアニメオタクという
出自を考えると、おのずとそういう感性になっているのでは、とのこと。
この点についても『ラ・ラ・ランド』は一緒で、往年の名作ミュージカルを
彷彿させる場面が散りばめられている。
その理屈はわかりませんが、監督が32歳という若さであることを考えると、
これも新海監督と同じく、全く悪気なく当然のように自分自身が好きな映画の
名場面を上手に散りばめたのかもしれない。

これらの真実が意味するところは、著作権に関する意識の明白な変化。
歳をとっていて、かつコンテンツ業界に関わっている者からすると
著作権を尊重して守ることは当然であり、パクリと言われかねない行為には
神経質であるべきだと感じるが、子供の頃や多感な時代に
デジタルやインターネットがあって当然の社会で過ごした若い世代や
オタクたちにとっては、作り手のポジションからであっても、
それは古臭い非常識に過ぎないのかもしれない。
よく思考してみると、たとえばマシンラーニングでもコンピュータによる
複製という行為が絡んでくるが、そこで厳格な著作権保護ばかりを主張すると
日本でのマシンラーニングの発展を阻害しかねないだろう。

すると、言うまでもなくデジタルのご時世といえども著作権の保護が
不可欠なのは当然のことであり、かつ、いまだ導入が主張される
“日本版フェアユース規定”(インターネット上での複製をフリーにする)
などは論外であるものの、保護の度合いの再検討は必要ではないか。

以上のように、こじつけのようになってしまうかもしれないが、
『ラ・ラ・ランド』と『君の名は。』の両作品は、
映画の出来の素晴らしさのみならず、日米両国にとって大事な
インプリケーションを含んでいるように感じる。

第一に、そろそろスマホのやり過ぎの弊害を意識し、集中力の低下、
文章の読み方が浅い読みになる、行動が受け身になるなど、
クリエイティビティや独創性が大事なご時世にもかかわらず、
人をそれと正反対の方針に導いてしまうということ。

政府がスマホの利用時間を規制することが急務と感じるが、
それは非現実的なので、それならせめて自分でスマホの危うさを
より意識すべきであろう。

また、著作権のあり方については、日米両方とも継続的に再検討を行っており
日本では文化庁が近ごろ、著作権法改正の方向性を示した。

こうした再検討は言うまでもなく大切ではあるものの、
かつての著作権法の一部的な修正にとどまっているのも真実。
もしかしたら若々しい作り手の意識も変わりつつあるという実態を考えると、
こうした継続的な再検討を行いつつも、どこかの時期でシステムそのものを
土台から見直すことも不可欠のではないだろうか。

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